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福音の新たな理解の必要性

T・オースティン-スパークス

初出:"A Witness and A Testimony" 雑誌 1943, Vol. 21-3. 原題:"The Need For A New Apprehension Of The Gospel".
翻訳者:オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー

少しの間、私は本音で語ることにします。なぜなら私は、「私たちは現在、とても困惑するけれども、非常に意義深い状況の中にある」と感じているからです。「主はあまり多くのことをなさっておられないようだ」という感覚があります。つまり、私たちが求めているのは神がある進路を進まれることなのですが、そうした進路に沿った神の明確な地上の動きはあまりない、ということです。神は何もしておられないので何も起きていない、ということではありません。何かが起きていること、そして神の真の働きが部分的に進んでいることを、私は信じています。しかし一般的に言って、外面的方法による神の偉大な動きは霊的に何もありません。長い間、神の活動のこのような形は差し止められているように思われます。

私たちはウェスレーを思い返しますし、ムーディをも思い返します。すると次に、偉大な聖書教師たちの一団がある時に起こされたことがわかります。私たちは一世代前の人々の名をみな覚えています。彼らはみないなくなってしまいました。あのような動きは今はありませんし、長い間ありませんでした。さらに、状況が大きく変化したため、もしこれらの人々が今日戻ってきたとしても、彼らがこの状況に対応できるとは私は信じません。何かが起きました。状況は変化しただけでなく、ますます深刻になっています。必要とされているのは、過去の数世代を上回るものであり、さらに強力でさらに深いものです。この必要は神からの新体制に属する何かを要請します。もちろん、この必要は新約聖書の時代にもありました。私の念頭にあるのは、新約聖書に関する限り、それとは別のものではありません。私が大いに懸念しているのは、この問題の大部分は福音の何たるかを新たに理解することではないのか、ということです。

今日クリスチャンの間に世界的に広まっている状況は、まったく思わしくない状況です。大部分の指導者や責任者はこれを悟っていると思います。回心者やクリスチャンの状況はまったく思わしくない不十分なものであることを、宣教士や宣教団体は気づいていると思います。「彼らの多くは本当に再生されているのだろうか?」という問いがしばしば実際に発せられます。主の民の霊的生活はとても浅く、一般的に言って、とても貧弱です。今日まちがいなく明らかに言えることは、教会は全般的に世界情勢に影響を与えそこなっているということです。この空白らしきものはなぜでしょう?めざましい一般的働き、この状況に適した働きが差し止められているのはなぜでしょう?神が何もなさっていないように思われるのはなぜでしょう?ああ、神が内的に何かをなさっていることを私は信じていますが、私が話しているのはそういうことではありません。どうしてこのような状況が広まっているのでしょう?

さて、私が思うに、福音の新たな理解が必要です。私は信じていますが、これがこの経綸末期における真の必要です。また、私たちはこの経綸の終わりに向かってかなり進んだため、主は初歩的なものをもはや受け入れることができないのです。主は成熟したものを得なければならず、さらに完全なものを得なければなりません。私たちが目にしているように、すべてがますますこれを確かに要求するようになってきています。

サタンの働き、人のサタンとの共謀、罪の侵入から生じた混沌と破壊。これらの後、神はこの宇宙の問題全体をどう解決しようと決定されたのでしょう?神はこの状況全体をどう対処しようとされたのでしょう?神ご自身が御子として人の姿で地上に下って来て、新しい種族を生じさせることによって、対処しようとされたのです。この新しい種族は彼ご自身の神聖な命にあずかる者たちであり、彼の神性ではなく彼の神聖な命にあずかり、彼ご自身の神聖な性質にあずかって、この宇宙で家族として彼ご自身の道徳的・霊的複製となります。

これは無限に――神の御言葉を用いてもよろしいでしょうか?――無限に独創的なことだといえます。これには深遠な知恵があります。破綻した状況の調査、修復、修繕のために外部から働きかけたり、状況を外的に処置したりすることではありません。彼ご自身がこの状況の中に到来されたのです――神は受肉して、御子として肉において現れました。遺伝学の用語を用いると、これは彼ご自身の種類にしたがって複製するためでした。これは神が代々の時代と世代にわたって隠してこられた秘密です。神はこれを秘密にしてこられたのです。

福音とは何でしょう?福音とはイエス・キリストです。この方は御子として肉において現れた神であり、栄光にもたらされました。それは、彼ご自身の種類にしたがって新しい種族を生み出し、多くの子たちを栄光に導くためです。要約するとこうです。ああ、これは罪の赦しを遙かに上回ることであり、信仰による義認を遙かに上回ることです。これはそういったものを無限に上回っていますが、他のものをみな含んでいます――これは神の深い内なる秘密であり、神が当初の御旨に関して最終的に勝利を獲得される方法です。新約聖書によると、「信仰」とは子たる身分であり、内なる霊的実際である子たる身分と関係しています。この子たる身分は、それを生み出す神のこの御業によって生み出されます。その産出は戦いの時です。

確かに、子たる身分の事実は新生によって存在していますが、子たる身分は誕生以上のものです。子たる身分は成熟です。子たる身分の全き成長へと進むことは、子たる身分の始まりと同じくらい不可欠であり、重要です。新約聖書がこれを示していることは自明です。つまり、主の民を全き霊的成長に導くことは、彼らを新生に導くことと同じくらい重要なのです。ここに欠け目があります。

今日だけでなく、すでに長い期間にわたって、福音の指導者たちは人々の救いをもっぱら強調してきました。彼らは他のなにものにもましてこれに興味を持っていますし、これが彼らの働きの主要な方向性です。その結果は何でしょう?私たちが目にしている、クリスチャンたちのいたって思わしくない状況です。回心した人々を全き霊的成長に導くことは、彼らを新生に導くのと同じくらい重要です。これをまさに新約聖書の存在自体が物語っています。この事実に私たちは直面しているにもかかわらず、このような有様なのです。なぜ新約聖書にはコリント書、ガラテヤ書、エペソ書、ピリピ書、コロサイ書、他の数々の手紙があるのでしょう?これらの手紙は、信者たちを全き成長にもたらすための信仰の戦いで占められています。信者一人一人が戦場です。これらの手紙はみな戦場であり、未信者の回心と関係しているのではなく、救われた者たちを前進させること――子たる身分の恐ろしい戦い――と関係しています。なぜでしょう?赤子ではなく完全に成長した信者が、暗闇の勢力を駆逐することになるからです。教会は成熟に達しなければなりません。

ですから使徒は言います、「彼は高い所に昇られた時、とりこにされていた者たちをとりことして引いて行き、人々に賜物をお与えになりました。(中略)そして彼は、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者(中略)としてお与えになりました」。何のためでしょう?「聖徒たちを成就して(中略)ついに私たちすべてが、信仰の一に(中略)ひとりの完全に成長した人に、キリストの豊満の身の丈の度量に到達するためです」(エペソ四・八、十一・十三)。信仰の一とキリストの豊満。これが明らかになります。種、家族、みからだにとって、霊的に完全に成長することは生まれることと同じくらい重要です。これは途方もないことです。福音の奥義は人々を再生させることだけではありません。福音の奥義はキリストの豊満であり、これはただ新生の時に始まります。この福音は公然の秘密であり、凄まじい過酷な戦いを引き起こします。支配者たち、権威者たち、この暗闇の世の主権者たち、天上にいる邪悪な霊の勢力との宇宙的戦いです(エペソ六・十二)。ここで格闘がなされています。

愛する人たち、この戦いの焦点は神の子供たちが全き成長に向かって霊的に前進することであり、敵はあらゆる手を尽くして邪魔しようとします。敵はその力であらゆる手段を用いて、まさにこの核心を攻撃します。神は御旨に到達されます。神は子たる身分に関して御子にあって来臨されます。それは彼から生まれた者たちの内に住まいを定め、彼らの中で成長し、彼らの中に彼の度量を増し加えるためです。そしてついに彼らは信仰の一にもたらされ、神ご自身の力強い化身、現れとなります。これは神格においてではなく、この宇宙における神の霊的・道徳的実際においてであり――彼らは神ご自身の御思いの生ける表現である御子のかたちに同形化されます――そして神の宇宙を満たすのです。敵はこれに反対します。この方向への小さな一歩といえども、すべて攻撃を受けます。霊的成長は常に反対を受けます。敵は御子を攻撃します。

ああ、福音、御子イエス・キリストに関する神の福音、神の秘密の途方もない意義を、新たに一目でも見ることができれば!私はこれを思い巡らすのが好きです。世界情勢を前にしてそれを整理し、その解決法を見いだすことは、私たちの能力では到底無理です。しかしあらゆる世代にわたって、神はこの状況全体、この問題に関して、完全に安息してこられました。「わたしにはこの状況全体に対する秘訣があります。わたしはこの問題をすべて解決しており、わたしの手には解決手段があります。最終的にわたしの方法が絶対的成功をおさめます!」と神は言うことができました。

その秘訣とは何でしょう。それは次のことにほかなりません。「わたしは御子にあって自ら下って行き、信仰を通して新しい種族を生み出しましょう。この新しい種族は最終的に全き霊的成長に導かれます。これがまさに意味するのは、そのときわたしがすべてを満たし、空間全体を占有するということです。他のものの余地はまったくなくなります」。これは個々のクリスチャン生活の問題です。それは、神が空間全体を満たすことになるのか、それとも私たちが少しでも空間を得ることになるのか、という問題です。これが絶えず進行していることなのです。


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