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開いた窓から

セオドア・オースティン―スパークスの毎日のことば



『私が望める最善のことは、この本が窓を開けたこと、そして、その窓を通して外を見たあなたが、イエス・キリストが他のあらゆる者に勝っていると理解することです!』 
オースチン-スパークス.

十月十日


わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ 去らせてください。しかし、わたしの願うようにではな く、あなたのみこころのように、なさってください。(マタ イ二十六・三十九)

私たちは、この事実と向かい合わなければならないし、 また、神の助けを求めて、主イエス様との交わりの中に 生きようと思えば、私たちは苦しみの道を進むことになる というこの事実を、常に心にとめておかなければなりま せん。・・・・私たちにも、腰を落ち着けて、算段をした上 で、次の事実をはっきりと心に認めるときが必ず来ます ――すなわち、その時点では、私たちが受けている苦し みが、自分の主との関係から来ていることを全く理解で きなくても(その苦しみは、あまりに多岐にわたり、かたち も様々であり、また、多くの場合、キリスト者としての生活 とは何の関係もないように思えます)、それでもなお、私 たちが気づくかどうかにかかわらず、神の子供が通る 道、イエス・キリストの同労者の通る道は、苦しみの道で あるという事実は変わることがありません。あえて言いま すが、心の中にこの事実を受け入れることを、後回しに したり、遅らせてしまうと、私たちはただこの状況が変わ ることを望み、その時を待つだけの状態から抜け出せな くなります。そして、実際には何も変わらないために、意 気消沈して、何もかも間違っている、主が私たちに敵対 しているとか、そのような後ろ向きな思いに捕らわれてし まって、私たちの証しを砕く足がかりとして敵が狙ってい る陣地を明け渡してしまいます。

この杯を受ける時、何をおいても、初めに覚えるべきこと とは、私たちがそれを救いの杯として受けているとき、ま た、主の血にある償いとその血によって受け取ったすば らしい贖いを思い出すとき、その杯は、主が受けた苦し みをも共有するようにと、私たちに語ってもいるという事 実です。・・・

そう、逆境と試練の炎を通して、キリストがかたち作られ る中で、そこには主の賞賛と栄光へと近づいてゆく何か があるのです。苦しみの中にある主との交わりが、結局 は、よりキリストに似た姿へと近づけてくれるなら、この 交わりこそがその何かに当たります。ですから、私たち が始めにすべきことは、この事実をじっくりと考え、それ を心に受け入れることです。あなたは何を期待している のですか、あなたは何を待っているのですか、あなたは 何を心配しているのですか、あなたは何を願い、祈って いるのですか?逆境や苦しみ、困難といいたものの全て から、完全、かつ、最終的に解放されることを祈っている なら、はっきり言いますが、その祈りが答えられることは 絶対にありません。苦しみのかたちは変わっても、どの ようなかたちを取っても、私たちが歩む道は最期まで逆 境の中を進む道です。私たちがイエス・キリストの友であ る限り、サタンが私たちの友となることは絶対にありませ ん。私たちがサタンに対抗する御国の一員であれば、サ タンの王国も、私たちの加勢を求めて近寄ってこようとは しません。このことを、しっかりと受け入れましょう。そう すれば、私たちも、おそらく、この絡み合った罠から、自 由になれます。




オースチン-スパークス. 元のタイトル Suffering and Glory

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『開いた窓から』の日々のメッセージはセオドア・オースティン-スパークスの著作から選ばれたものです。日によっては、部分的に要約されたかたちで転載しています。メッセージの冒頭に載せられる聖句とその聖書の版は、ウェブサイト編集者が選んだもので、必ずしも元の著作の中で引用されているわけではありません。ただで受けたものはただで与えるべきであり、営利目的で販売してはならない、また、自分のメッセージは一字一句、そのまま転載して欲しいというセオドア・オースティン-スパークスの希望に基づいて、これらの著作物を他の人たちと共有する場合は、著者の考えを尊重して、必ず無償で配布していただき、内容を変更することなく、いっさい料金を受け取ることをせず、また、必ずこの声明も含めてくださるようお願いします。