十月五日
まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若か った時には、・・・・ 自分の歩きたい所を歩きました。し かし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの 人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に 連れて行きます。(ヨハネ二十一・十八)
常に十字架の原理に常に基づいて生きているのでなければ、安全な場所はどこにもありません。安全であるた めには、どうしても十字架が必要です。私たちの手の中 に、安全なものは何もありません。主の祝福を受ければ 受けるだけ、多くの危険が生まれます。最大の危機は、 主が私たちを用い始めるときに訪れます。・・・・私たちの 肉に関して言えば、神の富をゆだねられるのは、何より も危険なことです。ただひとつの安全な場所とは、十字 架が今も働いて、私たち自身から来るすべてのもの、私 たちが自分だけで行うすべての行動に手を触れてくれる ところです。
使徒たちを見てみましょう――例えば、ペテロは、いつも 自分の思いで行動し、自分だけで何かをすること、自分 のやりたいようにすることを好んでいました。彼は、いつ もそうしていたのです。立ち止って誰かに何かを尋ねる ことをせずに行動する男です。ペテロが、兄弟である弟 子たちと交わりを持ち、『私はこれこれをしようと思ってい るのだけど、あなたにもぜひ、そのことで一緒に祈り、そ して、あなたの考えを教えて欲しい。私たちの気持ちが ひとつになるまで先には進まないつもりだ』などと言った ことは想像すらできません。ペテロは決して、このような ことをしませんでした。何かを思いつくと、一人で飛び出 してゆきました。主は、次のみことばで、ペテロの生き方 をうまくまとめたのです、『あなたは若かった時には、自 分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし 年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があ なたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行 きます』(ヨハネ二十一・十八)。これが、十字架が心の中 で働き始める前のペテロの姿でした。しかし、その後の 彼はどうでしょう。・・・『ペテロとヨハネ』、『ペテロとヨハ ネ』、『ペテロとヨハネ。』
彼らはともに行動するようになり、お互いと深いきずなで 結ばれています。これは、ペテロが協力と交わりの必要 を感じ、最良の目的と動機に持って働くときでさえ、単独 行動が危険と災難につながったことを認めたためではな いでしょうか?十字架が、どのようにして、私たちの衝動 的で自主的な性質、頑迷さ、自力への依存を変えてくれ るのか、これは、その一端を示すものです。
十字架はこのようなこと全てに対処して、神のためにも のごとを安全なものとし、また、主の知識が増し加わる 道を私たちが歩み続けさせるのですが、今まで言ってき たように、この十字架が、主にとっての私たちの価値、私 たちの有用性、私たちを背後から支えてくれます。
オースチン-スパークス. 元のタイトル
Prophetic Ministry - Chapter 5