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開いた窓から

セオドア・オースティン―スパークスの毎日のことば



『私が望める最善のことは、この本が窓を開けたこと、そして、その窓を通して外を見たあなたが、イエス・キリストが他のあらゆる者に勝っていると理解することです!』 
オースチン-スパークス.

十月七日


パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一 つのからだです。それは、みなの者がともに一つの パンを食べるからです。(第一コリント十・十七)



私たちは祈りの中で、キリストを自分の身体に取り込ん でいます。見方を変えれば、祈りの中で、信じる者たち へと、主ご自身が移ります。私たちは疲れ切って祈りに 向かい、新鮮な気持ちで立ち上がることができます。消 耗し切った状態で祈りに入り、生まれ変わって立ち上が ることもできます。私たちはただ、形式どおりの祈りの言 葉を口にして、何かの祈りを捧げたのでしょうか?そうで あれば、元気を取り戻して、立ち上がることはできないこ とを、私たちはよく知っています。形式的な祈りは、主の いのちを運ぶことはありません。形式的な祈りは、死をも たらすこともあります。しかし、本当に主を求めること、手 を伸ばして、主を掴むこと、祈りの中で自分自身を主に 捧げ切ることは、必ず、気持ちを新たにし、前向きにし て、心を強めてくれます。祈ることで、疲れ切ってしまうの ですか?それでも、祈りの中で疲れ切ってしまうことで得 られるすばらしい力があるのです。肉体的には疲弊させ る祈りの中でさえ、霊的ないのちに与えられる活力があ り、私たちはその力をもって進んで行きます。確かに、祈 りとは、聖霊がキリストを私たちの内に送り込む手段で す。祈りとは、それを通してキリストを体に摂りこむ道で す。主が私たちのいのちとなります。・・・

霊的な交わりを持つという神からの命令に気付くとき、私 たちは主を体に摂りこみ、主は私たちのいのちとなりま す。それは、神からの命令です。これは、既に使徒行伝 の中で伝えられています、『そして、彼らは使徒たちの教 えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。』 主の民の交わりには、途方もない恵みの手段があり、途 方もないキリストの豊かさがあります。主の敵が信者た ちの心を捕らえるのは、彼らが集まっていながら、主のこ とではなく、この世界の何事かを語りあっているときでは ないかと思います。主の民と共に過ごしているときも、自 分が関心を持っている様々なことに夢中になってしまっ て、主については何ひとつ語らずに終わることもよくあり ます。しかし、主のことを語り始める時、そこで人は必ず 豊かになり、必ず強められ、必ず何かが積み上げられて ゆきます。これこそ、神のされることです。

交わりとは、キリストを信者に分け与える手段です。そし て、霊的な交わりが可能な時はいつも、あなたも私も交 わりを求め、交わりを備え、大切に育むべきです。今日、 霊的な交わりの機会がなく、その交わりを得るためには すべてを投げ出すことすら望んでいる主の子供たちが実 に多くいるのです。主は、私たちの少なくとも二人をひと つにしたいと願っています。これが主の命令であり、キリ ストをお互いに与えることにこそ大きな意味があります。 そうでなければ、何かが失われてしまいます。私たちは このようなかたちで、主を摂りこんで生きるのです。




オースチン-スパークス. 元のタイトル We Beheld His Glory, Volume 1 - Chapter 6

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『開いた窓から』の日々のメッセージはセオドア・オースティン-スパークスの著作から選ばれたものです。日によっては、部分的に要約されたかたちで転載しています。メッセージの冒頭に載せられる聖句とその聖書の版は、ウェブサイト編集者が選んだもので、必ずしも元の著作の中で引用されているわけではありません。ただで受けたものはただで与えるべきであり、営利目的で販売してはならない、また、自分のメッセージは一字一句、そのまま転載して欲しいというセオドア・オースティン-スパークスの希望に基づいて、これらの著作物を他の人たちと共有する場合は、著者の考えを尊重して、必ず無償で配布していただき、内容を変更することなく、いっさい料金を受け取ることをせず、また、必ずこの声明も含めてくださるようお願いします。